2011年9月11日日曜日

JG7日目『他人と暮らす若者たち』

JustGivingチャレンジ7日目!最近眠気ではなく、肩が凝りすぎてついつい横になってしまいます・・・。
疲れない本の読み方とか、姿勢・目線の位置等をご存知の方はご教授ください。

今回ピックアップさせて頂いたのは、寄付先のコレクティブハウジング社とのテーマ的近しさから「シェアする暮らし」について、若者の暮らしへの意識やその背景を、都内居住者のインタビューや海外のフィールドワークで非常に具体的に描き出した一冊です。



今回の記事では「ルームシェア」「コーポラティブハウジング」「コレクティブハウジング」等の居住形態や、その差異については特に触れず、主にそれらの根底に共通して流れる概念としての「他人と暮らす」ということについて、心に響いた箇所を拾っていきました。
また、著者は別にシェアハウス礼賛の立場ではありませんし、本文中には他人と暮らす事のデメリット等もきちんと掲載されていますが、ここではスペースの都合上あまり触れられていないことをお伝えしておきます。

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1)節約志向と快適思考

シェアで暮らす生活において、一般的に最もわかりやすいロジックは「経済的利点」である。共同住宅において規模の経済が働くことで、一人暮らしに比べると生活コストが下がっていくことを、本書の中では二つの視点から見ている。

一つ目は「節約志向」で、一定レベルの生活水準をなるべく安く手に入れることを目的としており、もう一方は、同じ出費で出来るだけ快適な居住を手に入れたいと思う「快適志向」だ。
後者の場合、一人暮らしではなかなか実現し得ない、広いキッチンや快適な洗面所を創造してもらうと分かりやすいだろう。

但し、ここでの「快適志向」の場合は、必ずしも経済的なメリットを差しているだけではないと説明される。そこには、家族の延長・代替としての役割、時には同世代であることで、家族以上に分かち合える楽しさや、受け止めてもらえる感じがあるのだという。


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2)他人と暮らすことは面倒か

シェアする上での困難は、他人との生活観の違いが、清潔かズボラか(サービスレベルの期待の違い)コミュニティに強く参加するか一人を好むか(コミットメントレベルの違い)として、大きく差異と不満の表れるところであり、またそれと同時にシェア向きの物件が少ないというハード面の環境、周囲の無理解と偏見というソフト面での環境課題があるという。

周囲の理解に対して、本書では自身もシェアハウス経験のある著者が、よくある質問に対して更に問い直す形でレスポンスしている。
例えば「他人と暮らすのは面倒ではないか?」という質問には「一人暮らしは面倒ではないか?」「家族と暮らすのは面倒ではないか?」というように。

確かに、シェアハウスでのプライバシーの確保や、こまかな価値観の相違はストレスになる事もあるだろう。しかし、一人暮らしの方が家事の頻度や経費のコストパフォーマンスは低いし、家族は世代が違えばこそ理解し合えない場面も多い。
結局のところ「面倒の種類」が異なるだけであり、それよりもここでは「家族であることイコール、理解し合えるはず・面倒なく暮らしていけるはず」という前提の側に疑問が投げかけられる。

離婚/晩婚/非婚が珍しいことでなくなっている社会では、夫婦だからと過度な期待をせず、友人だからと過小に評価せず「揉める」ことを前提にして、いかに「うまく揉める」かが重要であり、家族であれ他人であれ起こりえるトラブルを最小限に留めるノウハウと制度が必要としているとある。

写真はコレクティブハウス「スガモフラット」の食事の様子

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3)共同生活者という関係

これらの問いに対する文中の言葉が、非常に深い含蓄を持っていたように感じたので、ここに、そのまま引用する。

もし「自由」を何でも自分の思い通りにできることだと考えるならば、他人との暮らしに「自由」は無い。しかしそれでは、「自由」は夫婦の間にも家族の中にもないことになってしまう。
また、もし「自立」を何でも一人で賄うことだと考えるならば、他人との暮らしに「自立」はない。しかしそれでは、やはり「自立」は地上のどこにも存在しないことになる。
「親密さ」を血縁や性愛から自然に溢れてくるものだと考えるならば、他人との暮らしに「親密さ」はあり得ないだろう。

けれども、「自由」を他人との対話のなかで自分を認めてもらうことだとすれば、「自立」を程よく他人に頼り支え合うことだとすれば、「親密さ」を共に生活を営む中で相手に感じる敬愛の情だとすれば、それらはみな、家族も含めた他人との生活のなかにしかない。
その意味で、他人との暮らしは、一人で住むより家族と住むより、ずっと自由で、自立した、親密なものになる可能性を持っているのではないだろうか。

実際にシェアハウスの住民にインタビューし、傾向として判明した事という事は、事前にルールを決めてペナルティを定めておく方法は、少なくとも小規模なコミュニティには向かず、実際に暮らし始めてからそれぞれの要求や参加度を知り、問題が起きた時に話し合いコミュニケーションを重ねていった方が、結果として良さそうだということだ。

「問題が機械的に迅速に解決されるよりも、それぞれが納得して気持ち良く暮らしていけることの方が重要だ」という著者の言葉に対し、都会のマンションに住む者ならある種当たり前のようになってしまっている、何かあればすぐに「マンションの管理人にクレームを伝え、指導を求める」という解決手法に、改めて空しさを感じる人も少なくないのではないか。


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4)新しいコミュニティが持つ機能

本書の終盤では、二人の専門家の思想から、僕たちが他者とより良く暮らしていくことの価値が表現されている。

一つは「心の病」を専門家のものとして相談商品化するのではなく、他人と暮らす中での日常の悩みを自分たちの手に取り戻すこと。
「個」の尊重のあまり、身近な他人と対等にぶつかる機会は失われてしまったが、自分の価値観を相対化し、その上で他者と協力して生きていく事を学ぶ機会としてのシェアだ。

そしてもう一つは、近しい人間とだけ集まり、そうではないものを排斥する集団が「コミュニティ」と表現されがちなことについて「ガバナンス」という概念を中心にすることを提唱していることだ。
他者とぶつかり合いながらそれぞれに納得のいく落としどころを探し、自分たちのことは自分達で決め、またその決定に従うという、民主主義の基礎がそこにあり、広い意味での政治とも言えるその考え方は、一つ屋根の下で暮らす集団から、地域、また国へと広がっていけるだろう。

そういう意味で、他人と暮らす「シェア」という形態には、「単に不景気だから経済的負担を軽く手法として流行っている」という実益以上に、「家族」ではなく「他人」でもない、「共同生活者」とのかかわり合い、また第三の暮らし方として、僕たちの価値観を一変させる、新しい社会への入口の可能性を持っていると言えるかもしれない。


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番外編)もちより

最後に、自分が関わっている「シェア」そして「コレクティブ」についてのプロジェクトについて紹介します。

■自分が主催者となっている『物々交換のmono-cle』(福岡)
http://www.joy-box.info/mono/
現状、運営上の都合で、ポイント制を利用し、本一冊:本一冊の交換性になっていますが、出来れば今後はもっと自由なものにしたいと思っています。既にストックがあるところから“持っていく”のではなく、家から持って来てそこに“置いていく”ような、本を持ち寄って共有する「みんなのクラウド本棚」のようにしたいのです。
ただ、僕が暫く運営から離れていた事もあり、上記のような方向性で行くのかも含め、組織的な大きな見直しが必要な段階になっていますので、今後新たに関わりたい人は募集中です。

■今回の寄付先である『NPOコレクティブハウジング社』(東京)
http://www.chc.or.jp/
コレクティブハウスとシェアハウスは、その形態としては異なるものですが、今回紹介した本の中で書かれていた「他者と対話して自発的に暮らしをつくっていく価値」に関しては、かなり多くの部分で通じているのではないかと思っています。

そのような様々な事例を取材した『シェアする暮らしのポータルサイト』
http://share-living.jp/

そして10月に行われる『コレクティブハウジング全国大会』
http://www.chc.or.jp/conference/
なんと!この著者である久保田裕之さんも、当日は一参加者として会場にいらっしゃり、またプログラムにも少しご協力頂く予定です!!


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もっと深く学びたい、読んでみたいという方はぜひお買い求めください。
集英社新書『他人と暮らす若者たち』 synoikismos.net  http://p.tl/488Y

このチャレンジに共感した!役にたった!応援する!と言う方はぜひ
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